見上げる角度



「せんぱーいっ!」
 ギラギラと照り付ける太陽を背に練習用の道着を肩に担いだ日下部都は、聞き覚えのあるその声に足を止める。
「高坂」
「先輩、今日は電車でしたよね? 駅まで一緒に帰りましょう!」
 女子の割に足の速い都に追いつこうと男子更衣室から走ってきた高坂隼人は、肩で息をしながら振り向いた都に満面の笑みを向ける。
 隼人は、先月都が所属する合気道部に入部してきた期待の新入部員だ。
 桜坂高校の合気道部は毎年三年生が引退するたびに定員割れを起こし、あわや廃部か?! となりつつも細々と続いているある意味伝統的な部である。
 都が先輩から引き継いだ合気道部の今年の一年生は春の時点でなんと女子三人。都たち先輩部員も男女合わせて四人という少人数だったので、一年生である隼人の中途入部は部内全体で大歓迎だったというわけだ。
「いいけど……高坂って電車組だっけ」
「いやいや、普段はチャリなんすけどね。今朝、タイヤがパンクしちゃって」
「あー。それはキツイね。朝からお疲れさん」
 隼人の言葉に都はしみじみと頷く。
 同じチャリ通学組として、朝一のパンクの大変さは痛いほどわかる。
「いえ、いいんです。ラッキーなこともありましたし」
 都の言葉に打てば響く勢いで返しながら、隼人は都の隣に並んで駅への道を進み始める。
 身長が百六十五センチを超える都は、校内にいる顔見知りの男子とほぼ同じ目線で話をする。
 だが、隼人が隣に来ると少し事情が変わってくる。
「……前も聞いたかもだけど、高坂って身長いくつ?」
「自分っすか? たしか春の身体測定では百八十五センチでしたけど」
「百八十五センチ……」
 隼人のその言葉に、都はその続きの言葉を飲み込む。
 都の兄である日下部千尋の身長が、隼人と同じ百八十五センチなのだ。
 さすがに部活の後輩の身長と自分の兄の身長が同じだからと言って、それがどうということではないのだが。
 ――ないはずなのだが。
 見上げる角度が兄と同じという事実が、都の中の何かをざわめかせる。
 同じ角度で見上げるという、事実が。
「身長がどうかしましたか?」
「え? いやいや、なんでもないよ。そういえばもうすぐ花火大会だね。桜川の」
 ざわめく気持ちを隼人に気付かれないように、都はあわてて話をすり替えた。
 桜川の花火大会は、都たちが通う桜坂高校がある地区で最も大きな花火大会で、毎年多くの学生が花火を見に桜川のほとりに集まる。
 今年は都も友人たちと一緒に行く予定だ。
「いいっすよねーっ! 打ち上げ花火。夏の夜空に広がる大輪の花! 日本の夏って感じがして季節を感じますよね」
 都の話に前のめりになるように勢い込んで話し出した隼人は、そこで一旦言葉を切る。
「でも自分、花火なら線香花火が一番好きなんすよね」
 先ほどまでの勢いとは裏腹に、大切に、いとおしむように続けたその言葉に、都は思わず驚きの表情をみせる。
 隼人が口にした『線香花火』という言葉の意外性と、それをとっても大切にしているように感じられる声音に。
「線香花火?」
「そうっす。あれ、実はすっごい奥が深いんっすよ。知ってます?」
「いや、知らないけど」
「マジっすか! 小学校の夏休みの宿題で調べたことがあるんっすけどね。いやいや、意外と侮れないんっすよ、線香花火」
 目をキラキラと輝かせながら線香花火について語る隼人に、ちょっと引きつつも都は思わず笑ってしまう。
 見上げた角度が兄と同じでも、目の前の後輩はまだまだ中学校を卒業したての幼い男の子なのだ。
「あんなに小さいのに、一度の点火で四回も花火を楽しめるんですよ。ほんと、一度先輩と一緒に見てみたいなー」
「へぇ。四回も……って、線香花火を? 一緒に?!」
 桜川の花火大会じゃなくて?!
「あ、そうです。庭先でチロチロと火花を散らす線香花火。縁側には蚊取り線香。昼間は攻撃的だった空気が、夕方にはまるで頬をなぜる風のように涼やかに緩やかに流れる……」
 そう言って言葉を区切って、にっこりと微笑むと隼人は続ける。
「祖母の庭先での線香花火はほんと日本の夏っていう感じです。さすがに日下部先輩を祖母の家にはご招待できませんが」
「ああ。高坂のおばあちゃん家ね」
 少し何かを含んだ笑みで続けた隼人の言葉に、都は思わず息を吐く。
 驚いた。一瞬、線香花火を一緒にしようと誘われるのかと思った。
「日下部先輩の驚く顔、初めて見ました」
 そんな都の様子を見ていた隼人は、嬉しそうに言葉をつづける。
「いつもクールでカッコイイ先輩を、一度驚かせてみたかったんですよねー。いやいや、ほんと今日はラッキーです」
「そう? 普段から結構驚いてると思うけど」
「そんなことないですよー。後輩には特に隙を見せないですよね。あと、思いっきり笑っている顔とかも見てみたいなーってのが自分の今の願望です。企みって言ってもいいかな」
「なにそれ」
 隼人のその言葉に思わず小さく笑う。
「それそれ! そういう笑い方はよく見るんですけどねー」
「そう?」
 隼人に指摘されて思わず笑顔をひっこめた都は、口元を手で抑えながら首をかしげる。
 別に普段から意識してそうしているわけではないのだが、部活の後輩がそう言っているならそうなのかもしれない。
「まぁ、日下部先輩のキャラ的に難しいですよね。思いっきり笑ったりすねたりふてくされたり……そういう『女子』っぽい感情を出すの」
「そうかな。あんまり意識したことないけど」
「そうだと思いますよ。日高や久保の様子見てても思いますもん。あれだけ後輩女子にキャーキャー言われちゃうと、なかなか難しいですよね」
 部活の一年女子二人の名前を出して、隼人は苦く笑う。
 確かに高校に入ってから都は男子よりも女子に好かれるようになった。
 それは、中学卒業あたりからぐんぐんと伸びた身長と受験で一度やめた合気道に復帰したからだと思っていたのだが、隼人の言葉を要約すると普段の立ち居振る舞い的にも女子に好かれる要素があるらしい。
「うーん。確かにそうかも」
 花火大会に一緒に行く約束をしている友人の顔を思い浮かべながら、都は思わず口に出す。
 思いっきり自らの『女子』を武器にしている花恋とも、本人は気づいていないがしっかり『女子』っぽいところを持っている今日子とも、自分は少し違うと思う。
 本質は似ているからこそ一緒にいても楽しく友達でいられていると思うのだが、都は自分の中の『女子』の部分が人より少ない事を何となく自覚していた。
 そして、その人よりすくない『女子』が現れるのがほかの誰でもない『兄』の前だということも。
「だから、自分の次の目標は先輩を爆笑させることなんです」
「は? 爆笑?」
 隼人の言葉に思わず自分の内面に考えが沈んでいた都は、その言葉に思わず二十センチ斜め上を見上げる。
 そこには、あどけなく笑う部活の後輩。
「そこはふつう、女の子っぽい笑顔を見たいとかそういうことじゃないの?」
「あー。そうっすね。そうですそうです。女の子っぽい爆笑をする先輩を見るのが目標っす」
「……高坂って、変な奴だな」
 思わずつぶやく都の言葉を拾って、隼人は少しだけ大人びた微笑みで返す。
「変な奴なんです。だから、覚えてくださいね」
 怒ると思ったら余裕の笑みで返されて、都は思わず目を逸らす。
「覚えるもなにも、部活の後輩なんだから当然じゃないか」
「ですよねー! これからもよろしくお願いしますね、日下部先輩!」
 目をそらされたことにはまったく触れず、ニコニコ笑顔で都の一つ年下の後輩は言葉をつづける。
「とりあえず、今年は桜川の花火大会に一緒に行きましょうね!」
「は、はい?!」
 どこから?! どこからの話の流れでそうなる!!
 思わずそう心の中で叫びながら、都はそらした目をあわてて隼人の顔に戻す。
「今日はそのお誘いをしようと思って先輩を呼び止めたんですよ。すっかり話がはずんじゃって忘れるところでした」
 駅の改札口に入ったあたりで、ニコニコあどけない笑顔の後輩くんはとんでもない爆弾を落とす。
「いやいや、無理だから。約束あるし」
「えぇ?! マジっすか! うわー。残念。まさか断られるとは」
「うん。なんかごめん。でも友達と先に約束してるからね」
「友達? 一緒に行くのってお友達なんですか?! それなら自分も是非ご一緒させてください!」
「え?! いや、無理。無理無理!」
 改札の中でぐいぐいと押してくる後輩に、普段はクールな都も思わず悲鳴のような声を出す。
「高坂だって楽しくないでしょ。回りみんな年上だよ? 同い年の子たちと行きなよ」
「いえいえ! 日下部先輩のお友達となら楽しいはずです! というか、自分、先輩のお友達と仲良くなりたいんで」
「いや、マジ意味わからんし、それ」
 思わず本音が漏れた都は、ホームに到着した電車を見て自分がのる方向の電車とは逆であることに思わず舌打ちしつつ、いかにして後輩の暴走を止めようかと思案していた、その時。
「あ! 自分こっちなんで。じゃ、また花火大会当日に!」
「えええええ?!」
 電車の扉が開くと同時にそう言って手を振り、あり得ない捨て台詞とともに冷房ガンガンの電車に乗りこんだ後輩は、驚きのあまり普段は決して見せないような表情で自分を見ている都に電車の中からにっこりと笑顔を向ける。
「今日は楽しかったです!」
「え、いや、ちょっとこうさ……!」
 ぷしゅー。
 都の焦りもむなしく、いつもと同じ速度でゆっくりと扉を閉めた電車は、いつもと同じようにゆっくりと動き出す。
「か……?」
 じりじりと照り付けるホームに一人残された都は、暑さの中で思わず先ほどのやり取りは幻ではないかと思い……。
「いや、違う。確かに言ってた」
 花火大会に一緒に行く、と。


 もわっと立ち込める熱風の中、とんでもない言葉を残し涼しい顔で去って行った後輩が誰かに似ているとぼんやり考えていた都は、いつも一緒にいる友人の押しの強さを思い出して思わず肩を落とした。
「あのぐいぐいくる感じ、どこかで覚えがあるなと思ったら……花恋だ」
 妹尾花恋にロックオンされている現在のクラスメイト、井沢康則に心からの同情とエールを送りつつ都は自分がのる電車の到着メロディを耳に乗り口へと足を進める。
 
 
 高坂隼人が一緒に行くと断言した桜川の花火大会は、明後日に迫っていた――。
 
 

 16/08/31
 競作小説企画 第十回「夏祭り」参加作品  使用お題「蚊取り線香、打ち上げ花火、線香花火、頬をなぜる風、夏休みの宿題」
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